今回は羽生結弦選手が競技人生の中で負ってしまった怪我に関する話題をピックアップしてみようと思います。
先日のNHK杯前に羽生選手が右足靭帯の損傷という怪我でNHK杯を欠場することになったというニュースが飛び込んできました。
そして続くロステレコム杯も同様に欠場…ということになっております。
フィギュアスケートは非常に怪我の多いスポーツです。
全身を大きく使うということは裏を返せば全身に大きな負担のかかるということでもあります。
とりわけジャンプ着氷時の衝撃は足首に時に数百キロ単位の負荷がかかってしまうともいわれています。
多くのスケーターは怪我と向き合いながら競技に取り組んでいて、中には小さな怪我が原因で、それまで勢いのあったスケーターが本来のパフォーマンスを取り戻せずにもがき苦しむことになるというケースも少なくありません。
羽生選手もこれまでの競技生活で度重なる怪我が原因で苦しい時期を過ごすこともありました。
しかしシニアデビューから11年もたった今なお、現在も世界のトップスケーターとして活躍し続けています。
そこで今回はそんな羽生選手が負った数々の怪我の一部とその怪我を負った後どうなっていったのかということに焦点を当ててお話していこうと思います。
是非最後までお付き合いください。
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2012-13シーズン【世界選手権2013】
ではまず2012-13シーズンから見ていきましょう。
2013年2月上旬、4大陸選手権出場後にインフルエンザを発症し休養を余儀なくされました。
その後世界選手権の2週間ほど前から練習を再開したんですが、世界選手権に向けて猛烈な追い込みをかけた結果、左ひざを痛めてしまいましてさらに1週間休養…
厳しい状況の中、世界選手権には痛み止めを服用した状態で臨みました。
SPでは4Tで転倒、さらにはコンビネーションジャンプの1stジャンプの3Lzでバランスを崩して2ndジャンプを付けることができず、得点が伸び悩んでSPまさかの9位スタート。
さらにはFS当日の公式練習で4S転倒時に右足首を捻挫してしまいまして、まさに満身創痍の状態でした。
そんな中臨んだFSは冒頭の4Tを着氷、続く4Sこそ堪えきれずにステップアウトしたもののそのあとのジャンプをすべて着氷。
最後は氷上で崩れ落ちたりキスアンドクライで膝をさする映像が映し出さりと、本当に過酷な状況だったんだなというところがこのあたりから伺えます。
そしてFSの演技だけなら3位、総合でこの大会の日本人最高位となる4位までジャンプアップして翌シーズンのソチ五輪日本男子の3枠獲得に大きく貢献しました。
そしてこの世界選手権の後の国別対抗戦を辞退し休養。
結局左ひざの怪我の影響で1カ月近くの休みを要したとのことです。
このシーズン、羽生選手はあのソチ五輪で史上はじめて100点台をマークした「パリの散歩道」というプログラムの1シーズン目でした。
このシーズンもSPの当時の世界最高得点を2度更新するほどSPにはかなり自信を付けていましたが、やはり体調不良や左ひざの負傷によって練習を積みきれなかったという影響がかなり大きかったかもしれないですね。
そして上記でFSだけなら3位と書きましたが、技術点(TES)に関しては全体トップの得点なんですよね。
満身創痍の中、全力を出し切った演技だったんだなと思います。
2014-15シーズン【GPS中国杯2014など】
続きまして2014-15シーズン。
この年はシーズン通して怪我を含めたアクシデントの連続となったシーズンでした。
まずシーズン初戦として予定してたフィンランディア杯は腰痛のため欠場。
そしてこのシーズンの初戦となったGPS中国大会…
多くの人の脳裏に焼き付いてると思いますけどもFS直前の6分間練習で他の選手と衝突事故…
氷の上でうずくまってましたし結構な量の出血も見えてたので、誰しもが棄権するんじゃないかと思ってたでしょう…
しかし、なんと頭部と顎などにテーピングや包帯を施して仕切り直しとなっていた6分間練習の途中から氷上に乗り、練習を再開し出したんですよね。
そのままFSを滑り、8本のジャンプ中4回転2本を含む5本のジャンプを転倒してしまいましたが、プログラム後半には新採点下において史上初となる3A+1Lo+3Sを成功させるなど渾身の演技を披露。
演技後は顎に7針、頭に3針を縫うことになり、表彰式とエキシビションに出演せず帰国。
その後の精密検査では、頭部挫創・下あご挫創・腹部座礁・左大腿座礁・足関節捻挫などの怪我で全治2 – 3週間という診断結果が出ました。
もちろんそこからリハビリをしたり氷上での練習を再開したりってなると本来もっと復帰まで時間がかかるところを、中国大会からわずか3週間後に行われたNHK杯に出場することになります。
当然本来のパフォーマンスからは程遠い演技にはなったものの4位に入ってGPF進出を決めます。
するとその後わずか2週間後に行われたGPFではSPではここまでのGPSで一本も入らなかった4回転を成功させてシーズンベスト、FSでは4Sと4Tの2種類2本の4回転を成功させ、パーフェクトまであとわずかというような素晴らしい演技を披露して自己ベストを更新しGPFを2連覇。
完全復活を印象付ける大会となりました。
しかしそこで波乱が収まらないのがこのシーズンなんですよね…
年末の全日本選手権に出場したんですけどもGPS中から続いていた腹痛で精密検査を受けるためエキシビションを欠場。
その結果、尿膜管遺残症という診断結果で年末に手術、2週間の入院と1カ月の安静期間を必要としました。
その後練習再開したんですけども、今度はそのタイミングで右足首の捻挫を引き起こし、さらに2週間の休養を余儀なくされました。
アクシデントに次ぐアクシデントに見舞われながらも出場した世界選手権ではSPでシーズンベストを更新したもののFSでは4回転2本にミスがあり、その後なんとか演技をまとめたが同門のハビエルフェルナンデス選手に逆転を許し2位という結果になってしまいました。
どうでしょう、さらっとこのシーズンの一連の流れを説明しただけでもこのボリューム感。
まるで悪霊がついているとしか思えないくらいような運気の悪さでしたよね。
ちなみにこの翌シーズンのFSは羽生選手の代表作であるSEIMEI。
自らが陰陽師となり自身にとりついた悪霊を取り払うことになったことはいうまでもありません。
2017-18シーズン(平昌五輪)
続きまして2017-18シーズン。
初戦のオータムクラシックでSPの世界歴代最高得点を更新すると、次戦となったロステレコム杯では自身4種類目の4回転となる4Lzを成功させるなど着実な仕上がり具合を見せます。
ところがGPS2戦目のNHK杯で状況が一変、なんとNHK杯開幕前の公式練習で4Lz 転倒時に右脚を負傷。
翌日日本スケート連盟が「右脚関節外側靭帯損傷」という診断結果を発表してそのままNHK杯を棄権、そのため自身4連覇を果たしていたGPFも出場を逃すことになります。
また骨や腱にも炎症が起きていたらしく、回復が思うようにいかずに年末の全日本選手権も出場することができませんでした。
全日本終了時点でようやく氷の上に乗るどころまでの回復段階だったとのことです。
過去の実績や平昌五輪の時に回復が間に合うという目処はあったことから選考基準の規定通りに平昌五輪の代表選手として選ばれることになりましたが、その後も表舞台からは姿を消し続けます。
怪我を負ってから約3ヶ月、平昌五輪個人戦SPにて復帰戦でありオリンピックぶっつけ本番となった大一番、それまでの周囲の雑音を全て跳ね返すような完璧なSPを披露。
自身の持つ世界最高得点の112.72に迫る111.68をマークし首位に君臨します。
「痛み止め無しには3回転も跳べなかった」という状態のため、怪我の原因にもなった4Lzや4Loは封印。
しかし4Tと4Sをそれぞれ2回ずつ組み込んだその時できうる中で最も難度の高い構成でFSに臨み、4本の4回転のうち3つを完璧に成功。
唯一4Tからの三連続は4Tの時点でバランスを崩してコンビネーションにならなかったものの、その後の3Aを咄嗟に3連続ジャンプに切り替えてミスをカバー。
最後の3Lzもバランスを崩しながらも転倒を防ぎ、その時自身が出せる120%の力を出し切る演技となりました。
結果、男子シングルでは66年ぶりとなる五輪2連覇を達成。
歴史にその名を刻むことになりました。
実は平昌五輪の個人戦の1週間前に団体戦が行われましたが、羽生選手はこれを回避。
この理由をブライアンオーサーコーチは「100パーセントの状態に戻すためにあと1週間、時間が必要だった」と語っていました。
日本経済新聞 羽生のコーチ「あと1週間必要だった」 団体回避の理由説明
実際オーサーコーチの言葉通り、団体戦の1週間後の個人戦SPでは怪我をしていたとは到底思えないような非常に素晴らしい演技を披露してくれました。
この記事の前半でも触れた通り、羽生選手は本来怪我をおしてでも無理をして試合に出る性分の選手であったことは明白です。
特にソチ五輪から平昌五輪に至るまでの4年間は怪我や病気の連続でしたが、これらの経験が大事な五輪シーズン途中の大怪我から奇跡の復活までの道筋を立てるための貴重な経験として役立てられたのは間違い無いでしょう。
この平昌五輪の勝利は
- ・これまでの経験
- ・オーサーコーチなど周りのサポートメンバーの管理、コントロール力
- ・自身のこだわりや理想(4Lzや4Loを含めたMAXの構成)を捨てた勝利への執念
など、数々の要因が重なった必然の結果だったのかもしれません。
2018-19シーズン【世界選手権2019】
翌2018-19シーズンも羽生選手に怪我が襲い掛かります。
GPS2戦目となったロステレコム杯、SPトップで終えたあとの翌日のFSの公式練習で4Loの転倒時に右足を捻挫。
医師からは3週間の安静が必要との診断を受けますが、怪我をした右足に負担の少ない構成に変え、出場を決意。
後半転倒はあったもののロシア大会を優勝、表彰式には松葉杖で参加しました。
その後日本の病院で右足関節外側靱帯損傷・三角靱帯損傷・右腓骨筋腱部損傷の診断を受け、進出が決まっていたGPFを欠場。
続く年末の全日本選手権も欠場。世界選手権への代表に選ばれたものの奇しくも前年と全く同じ状況で翌年の世界選手権に臨むとになります。
怪我から4ヶ月後、世界選手権が復帰戦となりました。
SPでは冒頭の4Sが抜けてしまい大きく点を失って得点を伸ばすことができず3位。
約13点の逆転を狙ったFSでは怪我の原因にもなった4Loを完璧に着氷。
さらにはこのシーズンのGPSで世界で初めて成功させた4T3Aのジャンプシーケンスを成功させます。
結果、採点方法が変更に伴い記録がリセットされた新採点において初めてFS200点超え、総合300点越えを達成する圧巻のパフォーマンス。
残念ながら次の滑走者のネイサンチェンに得点を更新され逆転優勝こそなりませんでしたが、大事なシーズン大一番の世界選手権で唯一のメダル獲得としっかり結果を残し、翌年の世界選手権日本3枠獲得に大きく貢献しました。
おわりに
ということで羽生選手がこれまで負ってきた怪我の数々とその後どうなっていったのかということを一部ではありますが紹介させてもらいました。
今回も2017年や2018年の時と全く同じく右足関節外側靱帯損傷という怪我でGPSを欠場することになりました。
あの時よりも年齢を重ねてますし、野球選手の投手の肩は消耗品であるのと同様にフィギュアスケーターの足も消耗品。
ですのであの時も大丈夫だったから今回も…とはならないかもしれません。
しかしそのような雑音を跳ね返し続けたことも事実。
羽生選手の夢でもある4A成功のためにも、なんとか今回も怪我を乗り越えてほしいですね。
それでは今回はこの辺で。